2020年4月、自転車雑誌などでライターをされている 安井行生さん が中心になって 〝La route〟 という自転車メディアを立ち上げた。
現時点ではウェブでの情報発信を行う。記事を閲覧するには有料de月額500円。
この記事は、自分の質疑「走行時のローリングについて」 ふわっ と書いてみたい。
クラウドファンディングの返礼品シール。チネリのTシャツの上に置いてみた。
INDEX
自転車Webメディア 「ラ・ルート」
https://laroute.jp/
「本当の自転車好きが読むに値する記事を届けたい。」という意志の元、奥深い自転車の世界をとことん追求していくスタンス。伝えたいことが伝えられるように企業やメーカーに忖度が発生しないよう会費制で運営できる体制を目指している。
記事を閲覧するには、会員になって月額500円。(正確には消費税入れて550円)
毎月の支払いは会員登録した同日に支払われるみたい。(例:15日に登録したら翌月の15日が課金タイミング)
支払いは自動更新になっており、請求をストップするには 退会(ユーザー削除) するしかないみたい。たぶん。「今月は支払いパスしたい」ってときにはちょっと不便。
更新頻度は 週1ペース で行われている。月曜夕方に更新されることが多い。初期の方針では月4~5本の記事掲載と記載されていたので、今後変動する可能性もあるだろう。
編集後記「DAYS」のカテゴリは無料で閲覧できます↓
「DAYS」には、編集後記やお知らせ、日記のような短文を掲載します。記事ではないため、ここだけ無料としています。編集後記でホンネがポロッと漏れたりするので、ここもぜひ読んでいただければと。
読者Q&Aを開催していた時期に質問を送ってみた。
「走行時のローリングってド〜なの?!」というものだ。
La route で回答してる内容をここにコピペすると(紳士協定的に)マズいのでやらないけど、ローリングについては肯定的な見解で、ほっとした。
「えっ、そんな乗り方ダメダメ!常軌を逸してるよ!」とかコメントされたら不安だったけど安堵。
しかし、自転車という乗り物に50万以上掛けていること自体が一般の感覚からしたら、
「自転車に〇〇万!常軌を逸してるッ!!目を覚ませ!」と迫害されそうな気配を感じる。
ユーザーからの質問募集は 随時募集している みたいなので、質問したいことがあるならお送りあそばせ。
ネットで検索すればいっぱい出てくるけど、
最近だと、2019年リリースされた Cannondale SuperSixEvo の記事を読めば文章のテイストが感じ取れると思う。
ほかのメディアでは言及していない部分もフォーカスしている。
安井行生のロードバイク徹底評論第13回 キャノンデール・スーパーシックスエボ vol.1
近年稀に見る「衝撃のモデルチェンジ」となったキャノンデール・スーパーシックスエボ。アメリカでのローンチイベントに参加し、帰国後も日本で何度も試乗を行い、新世代万能ロードに関する考察をしながら、新型エボを分析・評価する。
「坂道を下った勢いだけでペダルを漕がずに誰が一番遠くまで行けるか──」
小学生の頃、友達と競い合った。
大抵は、みんなどっこいどっこいの距離で止まる。だけど一人だけ果てしなく進める奴がいて、そいつがあみ出したのがローリング走法。
ハンドルを左右にジグザグ振ることで、わずかながら進み続けることができる。
この技には一段上があって、車体全体を傾けてスラロームするように、推進力を保ち続けていくver.もある。
発端は「永遠の詩」というマガジンで連載していたヤンキー系マンガに起因する。
このマンガ内で紹介されている〝速い〟バイクの走らせ方が〝ローリング〟
今ならわかる、これマンガだから! 話を面白くするため大人たちが考えたファンシーな設定だから!
ピュアな子供時代にはその設定は真実であるかのように心に響いて、
「強く信じて試みれば成るッ!」と思い込んじゃうよね。
“かめはめ波”とか“邪王炎殺黒龍波”だって、多くの男子が憧れて「いや実際出んがな。」と誰もが思う。
でもそこで、大の大人が、
「マンガの話を本気にしてんなよ、バカじゃねぇの!」
「そもそも筋斗雲とか舞空術って何?」とドヤ顔で指摘するのは野暮ってもんだと思う。
「サンタクロースなんていないから!」と無垢な少女にぶつけて何になる!? それとも都合のよい物語を作る大人が悪いのだろうか?
マンガだから語られる理論や逸話は全部ウソ、とは言い切れない。
制作者たちも、テキトーにホラばかり描いてたんじゃ読者に舐められる、飽きられると思っているだろう。
ことバイクに関しては、とりあえず〝ドリフト〟って単語使えば、ドラテクアピールや描写もカッコよくできるし、避けては通れなさそう。
2018年のジロ・デ・イタリアでは、「フルーム 70km単独逃げ切り→逆転優勝」歴史に残るレジェンドが作られた。
そのとき「同じパワーで踏んでいるのにタイム差が離れていく」とどこかの選手がぼやいていたことが記憶に残っている。
近年のロードレースはパワーメーターの数値をチェックしてればヘタることはないし、それが勝利を手繰り寄せるための定石、という認識だ。
だけど、自転車を進ませるために「ペダルを漕ぐ」だけが全てではない。パワーメーターの数値には示されない自転車の進ませ方・操り方がある。
スピードが速い・遅いの土俵でないところに、 “自転車” と “乗り手” の 心地よいと感じる関係性 =「美しさ」は存在している。〝佇まい〟と表してもいいかもしれない。
ロードバイクが速さの追求のみを評価して、そういう楽しみ方しかなかったのなら自分は惹かれないと思う。
やみくもに筋力パワーで進ませるのではなく、身体を効率よく使って、最小のエネルギーで最大のパフォーマンスを引き出すこと、機材と一体となって自由に操る姿に魅力を感じる。
今後も自転車の乗り方・走らせ方の理屈/理論は、アップデートしていくだろう。
でも、理屈には沿わないけど、惹かれる走り方ってあると思う。
パンターニが下ハン持ってダンシングでぐいぐい登ったり、クウィアトコフスキーが爆速でダウンヒルしたり、サガンが観客を楽しませるためにウィリーしたり・・・。
日本のサイクルメディアを見回すと、「こういう乗り方してくださいね」って画一的な圧を感じる。
お行儀よい一辺倒なスタイルで、ミステイクはないのだろうけど、味わいは似たり寄ったり。冷凍食品やレトルト食品みたいなもんかもしれない。
そこから独自の味わいを楽しむなら、自分であれこれ失敗して試行錯誤してみた先に、なにかカタチづくられるのだろう。
その過程があってこそ、様になるというか、自転車と一体となる雰囲気が生まれてくるのだと思う。
そっちのローリングじゃねえよ。でもツール最終日とかにこのパフォーマンス見てみたい。ときめきを運ぶトレイン。